ziziの地球屋

ちょっと変哲のある人

資料作成の奥深い世界

良いものを作ろうとしてもできない。

良いものというのは他人が評価するものなので、自分が作るものに関しては
「自分の納得のいくもの」という表現が正しいのだろうと思う。

良いという基準は曖昧なもので好みにも左右されるので、狙いに行くのは難しい。
ただし万人ウケするような「わかりやすいもの」に寄せていくことは可能なので
作業としては面白くないがウケを狙うことはできる。

一番簡単に当てに行けるのは「模倣」だと思う。

タピオカ屋の隣にタピオカ屋ができるのも、混んでいるコンビニの横に
またコンビニができるのもその理論の一部を使っていると思う。
楽曲に例えれば、最近の若い人はとにかく待てないなので「短さ」を極めた
ノリの良い曲を作っておけば大きく外れることはない。


私がこの記事を書こうと思ったのは「良い資料を作ろう」と思ってしまったからだ。

私が思う良い資料は、情報が網羅的に簡潔にまとまっているものだ。
その代わり言葉は難しく文字が多くなる。

こういう資料は読まれない。

資料の読み手は資料を読んだ後に行動を起こしたい。
簡単にコツをつかんで効率よく成果を上げたくて資料を読んでいる。

図解されHow-Toがわかりやすく書いてあればそれでいいのだ。
網羅性や精緻な情報などどうでもいいという訳だ。

読み手に寄るけれどね。
日がな一日資料を作っては発表する仕事だと虚無感に襲われる時がある。

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