ziziの地球屋

ちょっと変哲のある人

十分すぎる休養

いつも通り目覚ましを7:30にかけていたが
今朝は鳴って直ぐに止めて、二度寝してしまった。


その後、昼までぐだぐだとしており
ラジオを聴いたりネットサーフィンをしたりで
シャワーを浴びてすっきり起きたのが17:00過ぎだった。


やらなければならないこともなく
食べ物もあり
眠気もあった


普段から急いで暮らす方ではないが
今日は我ながらのんびりと寝ながら過ごした。


明日からは仕事が始まるので早寝しよう。


休日とはこうあるべし。

 

家賃を食べているようなものだ

新卒で入社した会社の先輩社員に言われた言葉。
銀座の飲食店は高額だが、味と釣り合う店は少ない。
ほとんどは家賃回収のための値付けだ。


「家賃を食べる」という表現がしっくりこないものの
今にしてみれば理屈がよく分かる。


銀座にある飲食店の味を否定する訳ではない。
家賃を回収しているという理屈はあってもおかしくないということ。


一方で「銀座で食事をした」というのは達成感がある。
文章の収まりもいい。
ご褒美に、という枕詞が付くとなおいいかもしれない。


要するに「銀座」というのは特別な場所なのだ。
そこで高価な食事をすることで満足感を得られるのなら価値がある。


話は変わるが銀座から鎌倉に引っ越した「古川」というお店は本当に美味しかった。
鎌倉にも足を運びたいと思っている。

https://www.ginza-furukawa.com/

 

しつけの正解とは一体

飛行機の三人掛けの通路側に座った。
窓側二席は1歳児ぐらいの子供とその親だ。
子供が泣いたり喚いたりはなかったが、多少やんちゃだった。


つまりは自身の左腕を結構な勢いで蹴ってしまったのだ。


それまでは寝たフリを決め込んでいたが、流石に驚いて起きてしまった。


その時の親の反応は…
何もなかった。


これはどちらが正解なのだろう。
___
①乳幼児とは言え子供が人を蹴ってしまった。
 すみません、大丈夫でしたか?


②乳幼児なのだから致し方ないこと。
 お互い無言で水に流そう。
___


どちらでもいいのだけどね。
世の意見は分かれそうだと思った。


論点は親は大人だというところかな。
やれやれ。

湿布の効果は抜群だ

連休序盤は左肩の痛みに悩まされていた。
肩関節から二の腕まで痛みは広がり、どうもおかしい。


「おかしい」というのは、四十肩と診断された右肩痛の時と痛み方が違うからだ。
あの燃えるような炎症が感じられず、腕の筋が痛む気がした。


手元にロキソニンテープ(湿布)があったので
痛む箇所に貼り、一晩置いた。
すると嫌な痛みは消えていた。


湿布の他に変わったことは何もしていない。


筋が張るような、突っ張る痛みが長引いて
左肩までも四十肩になるのは御免だった。


可動域を保ちながら痛む時期を乗り越えたい。

 

春が来た

実家近くに桜が咲いていた。
関東の満開から遅れること約一ヶ月。
気温は10度台と肌寒いくらいだが満開に近く咲いている。


きれいだなあ


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何十年もこの道を行き来してきて初めて足を止めた。
桜を見て心が動く年齢になったということだろうか。


娯楽として用意されたコンテンツによる喜怒哀楽もいいが、自然の中にいると自分が生命として存在していることを感じる。


まったく別の話だが、春は短く夏は灼熱だ。


昔は8月のお盆あたりはもうひんやりしていたが
温暖化なのか風向きが変わったのか
とにかく気候変動も感じざるを得ない。

マスク率が下がった

 

空港へ向かう電車の中で気づいた。
自身が乗車した車両の優先席付近では
自身以外にマスクをしている人がいなかった。


数年前に恐れられたウイルスは
既に過去のものか。


感染すれば重度の肺炎を起こす可能性があり
「極力外出を控えるように」と国から
アナウンスが出たのは記憶に新しい気がしたのだが。


よく分からない内に治療薬ができ
弱毒化したのか完治する人も増え
恐らくこのまま風化するのだろう。


三密
濃厚接触
緊急事態宣言


こうして書き出してみるとだいぶ昔のことに感じる。


行動が制限されていたので、 あまり記憶に残るようなことがなかったのかもしれない。

生きるための感謝と親切

「ありがとう」と言うことは必要である。

人間関係を営んでいれば、親切やヘルプの授受が発生する。
そんな時に「ありがとう」を言えるかどうかは重要な気がする。

そもそも親切の類は「やってもやらなくてもいいこと」なので
やらないという選択肢を取らずにやってくれたことなのだ。
そんな手間をかけてまで自分に時間を割いてくれたことにはお礼を言うのが
定石のように思える。

なぜこんなことを書くかと言うと、人間は一人では生きられない。
毎日の食事さえ、誰かが供給してくれた「食べ物」や「サービス」の上に
成り立っている。

要するに親切を受けた後に「ありがとう」を発し、次の親切を受けないことには
生きていくことが難しいのだ。

下世話なことを言えば「お礼も言えない」という言葉は誰でも一度は
聞いたことがあるだろう。
お礼を言われない人は不満を持つため、次の親切が更に期待できなくなる。

身近な言葉から「生きる」ことを考えるのは時に必要な思考である。

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